プロフィール

Matthew Dean Ownby (マシュー・オンビー)

日本在住15年目。大学にて電気工学と機械工学をダブル専攻し、卒業後は医療機器エンジニアとしてNASAに入社。来日後は複数の外資系企業でセミナー講師を務めた後に独立。現在はフリーランスの英語プレゼン講師として活躍中。

英語プレゼン講師 Matthew Ownbyさん

旅の始まりはNASAエンジニアから

NASA入社とエンジニア時代

 私は大学で電気工学と機械工学を同時に専攻していました。教授の勧めと身に付けたスキルセットを活かして、医療機器エンジニアの長期インターンとしてNASAにジョイン。そこでの成果が評価され、2002年にそのまま正社員として採用されました。

インターンシップ初日、NASAの倉庫にある壊れた医療機器の前に連れて行かれて「3ヶ月でこれ修理してね」と言われました。当時は修理方法どころかその機械がなんなのかも分からず、始まってすぐの頃はひたすらインプットを繰り返していました。手のつけようがない大きな問題は小さく切り分け一つずつクリアしていく、この工程を繰り返すことで無謀に思えた課題も何とか達成することができました。

 私が所属していた部門は、主に宇宙飛行士が使う医療機器の設計や修理を行う場所でした。一度飛んでしまうと、私たちは一緒に宇宙までついていくことはできないので、ロケットに積む前に全ての問題を取り除いた完璧な物を作らなければいけません。さらに、医療機器は宇宙飛行士の生死にダイレクトに関わるということもあって、毎日寿命が縮まるような緊張感の中で働いていましたね…。

 

NASAを辞め、向かった先は『親戚の会社』

 NASAで働いていた頃、まだ海外に出たことがなかった私は「いつか違う国に行って仕事をしてみたい」と漠然と考えていました。そんな折に日本で仕事をしていた親戚から会社を手伝って欲しいと頼まれ、これを絶好のチャレンジだと捉えた私は2004年にNASAを退職、単身日本にやってきました。親戚の会社は茨城県にある英会話教室で、当時は私も英会話講師として少しは現場に出ましたが、基本的にはバックオフィスのコンピューター業務が中心の日々。エンジニア時代に培ったコンピューター経験もあったので、すぐにシステムを構築して効率的な運用ができるよう環境の整備を進めていきました。日本で英語を教えることや、講師として人にものを教える立場というものを肌で感じたのは、この経験が始まりだったのかもしれませんね。

次なるチャレンジの舞台は、世界最大のネットワーク機器開発会社『シスコシステムズ(CISCO)』

 その後会社が順調に成長し、私のバックオフィス整備もほぼ完成した頃、私は新しい挑戦のフィールドを探し始めました。3年間お世話になった親戚の会社を出て東京へ、次に向かった新しいフィールドがCISCOです。CISCOはエンジニアではなく、親戚の会社で得たことを生かすべく社内人材教育を行う部署を希望し、「人に物を教える」という私にとっての新たなチャレンジをスタートさせました。英語を教えることはもちろんですが、私の主な業務はビジネスの現場で使える英語教育にフォーカスしたものでした。具体的には、プレゼンや会議、ネゴシエーションなどのビジネスシーンにおいて世界で対等に渡り合える人材を教育する仕事で、いわゆる英会話教育とは全く性質の違う仕事です。私はそこで、日本のビジネスマンの交渉力の弱さや日本の会社に蔓延る非効率な作業(だらだら長い会議など)を目の当たりにし、強い衝撃を受けたことを覚えています。この経験は、日本のビジネスパーソンを変えたいという私の思いを生むきっかけになるものでした。

 

大手EC企業を経験したのち、フリーランスに!

 リーマンショックの影響で社会情勢が不安定だった2008年頃、私はこのタイミングでCISCOを退職し、次にチャレンジを求めたのがECサイトを運営する某大手外資系企業でした。私はこの会社でも社内人材教育を専門とするセミナー講師に近い業務を行い、一連の仕事を通じて「いかに効率的に学び、学びを蓄積するのか」ということを社員に問い続けてきました。この話については私が2019年に出演したTEDx Talkでもお話ししているので、よかったらそちらも見ていただけるとわかりやすいと思います。(動画はこちら

 社内人材教育の仕事を一通りこなしながら10年近く経った頃、私は独立について考え始めるようになりました。これまでのセミナー講師としての経験と、仕事を通じて感じた日本のビジネスマンの明確な課題を自分の力で変えたいと思ったんです。2年間かけて少しずつ独立に向けた準備を進めて、2020年の始まりと同時に独立を果たしました。今はまさに新たな挑戦の第1歩を踏み出した段階です。

エンジニアからセミナー講師に!?エンジニアと教育に共通するポイントとは?

『人の成長が嬉しい!』をルーツにセミナー講師へ転身

 エンジニアとして生きていく道も当然あったのですが、単純な比較で人に教えることの方が好きだったんですよね。講師の仕事は日本に来て初めて挑戦しましたが、生徒が成長していく姿を見るのがシンプルに楽しかったことから教育者として生きていく道を選択しました。とは言え、教えるという仕事の中にもエンジニアとして培ってきたノウハウが強く生かされています。それは、生徒の現状と理想のギャップを効率的かつ効果的に埋めていくこと。現状のレベルを正確に把握し、そこから大きな目標に向けた練習ステップを「一口サイズ」に分解することで成功体験を積み上げていきます。初めはどうしようもなく遠く見えた目標が、小さな目標をクリアしていくことでいつの間にか目の前に来ているといったイメージですね。私は毎レッスンごとにレッスン終了時点の目標を設定して効果を測定するのですが、自分の想定した効果が上手く現れた時、そのビフォーアフターを見るのが何よりの楽しみで、この仕事のやりがいを感じる瞬間になっています。

 また、日本人は良い技術や商品を持っているにも関わらず、英語やプレゼンテーション自体が苦手で上手くPRできない人が多い印象があります。私はこの15年間で日本各地のあらゆる場所を訪れましたが、どこへ行っても安全で清潔、食べ物も美味しくて自然も豊かな素晴らしい国だと感じています。良いものをたくさん持っている日本だからこそ、日本のビジネスパーソンが世界で戦えるようお手伝いする意義は大きいと思っています。

 

オフライン授業とオンライン授業の使い分け ーレンタルスペースを駆使した生徒の成長促進術

 現在行っている英語プレゼン講師の活動では、オンライン授業とオフライン授業をうまく使い分けるようにしています。新型コロナウイルスのこともあるのでオンラインを活用した授業も多くはなっていますが、マンツーマンでオフライン授業をすることもあります。わざわざオフライン授業を行う意義としては、できるだけ本番環境に寄せた授業にするためです。やはり、オンライン上でいくら上手く話せたところで、本番の環境で緊張してしまうと本来のパフォーマンスは発揮できません。そのため、授業の段階から本番を想定して広めの会議室を使うことはお客様にとってもより良い練習と言えます。一方で、色々な場所でオフライン授業を行うためには各地に会議室や教室を持つ必要があるので、コストや運営面で手間がかかってしまいます。そこでレンタルスペースを使うことで、会議室やセミナー会場の管理を自分で行う手間を省き、好きな場所・好きな日・好きな時間だけスペースを使うことができるので非常に便利です。

 本格的な会議室を借りて練習した時はお客様からも良い練習になったと言っていただけますし、何よりお客様のプレゼンが成功することが私の成功になるので、場所に妥協はできませんよね。お気に入りの会議室は定期的に利用していて、出張した際は現地の会議室を探して使うので、極端に言えば沖縄でのワーケーションなんかも簡単にできてしまうというのがレンタルスペースの魅力ですね。お客様からしても、教わるために私のオフィスに来るのは労力がかかってしまうので、私の方から出向くことができるメリットは多いと思います。

インタビュー会場:ライトハウス代官山(クリックで詳細)

今後の目標と日本人の英語プレゼンにおける課題感

旅路の現在地とこれから

 現在はビジネスパーソンを対象に英語プレゼン講師として仕事をしていますが、今後はプレゼンだけでなくディベートやネゴシエーション、会議のファシリテーションといったメニューの幅を拡大していきたいと考えています。特に日本の会社でよく見られる、資料を持ち寄って集まるだけの何も決定しないだらだら会議はなんとかしたいですね(笑)その他にも、せっかく良いプロダクトを持っているのに魅力を伝える方法を分かっていない人や、そもそも交渉力が弱いビジネスパーソンを変えていければと考えています。持ってるものは高品質な日本だからこそ、売る部分や訴えかける部分を改善すれば大きく成長できるはずなんです。そのためにも、英会話などカジュアルな講義はせず、あくまでビジネスライクな専門性を守りながら、プロのビジネスパーソンを育てていくことに今は集中したいと思っています。

 NASAから始まり色々な場所を渡り歩いた私の旅ですが、確固たる目標と一緒に今ここまで歩いてきました。これからの活動や私自身の成長を楽しみにしているのはもちろん、今は少しでも世界で戦えるビジネスパーソンの力になっていけたらと思っています!